2010年01月12日

軽井沢ボヘミアンガラス美術館

軽井沢ボヘミアンガラス美術館

 ボヘミアンガラス(Bohemian glass)は、チェコで製造されるガラス製品です。チェコにおける伝統産業のひとつ。カリーガラスの一種。チェコにおけるガラス産業は、九世紀頃にモラヴィア(チェコ北東部)・ボヘミア(チェコ西部)・シレジア(チェコ北東部)のモラヴィア帝国で装身具の材料としてガラスが使われたのが始まりとされます。その後、そのガラス製造技術はモラヴィア帝国滅亡後に築かれたボヘミア王国へと受け継がれていき、この頃、ボヘミアガラスはステンドグラスやガラス器などにも使用されるようになりました。

 一七世紀、プラハの宝石カッティング職人キャスパー・レーマン(Caspar Lehmann)が、銅やブロンズ製の回転砥石で宝石をカットする技術をガラスに適用することを思いつき、それ以降、バロック様式の装飾的なガラス細工が世に知られるようになりました。ソーダ灰の代わりに木灰が使われます。

 ボヘミアのヨアヒムスタール鉱山で採れるピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)に含まれるウランがボヘミアグラスの着色に使われていることを知ったキュリー夫妻は大量のピッチブレンドを分析して新元素ラジウムとポロニウムを1898年に発見しました。



 高度な技術と華麗な装飾性が特徴のボヘミアンガラスを中心に紹介。ガラスギャラリーでは、チェコのアーティストの作品やアール・ヌーヴォーの華やかな虹彩ガラスなど約100点を展示している。19世紀末に注目を集めていたレッツ工房のコーナーには、1900年のパリ万国博でグランプリ受賞したホフシュテッターの作品もある。


午前10時〜午後7時
夏期は、開館時間を延長致します。
冬期休館有り(お問い合わせ下さい)

入館料
一般800円・中高生500円
小学生以下無料。
20名以上は団体割引あり。

交通
上信越自動車道碓氷軽井沢I・Cより約15分
長野新幹線軽井沢駅より徒歩10分


〒389-01
長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1310-20
TEL.0267-42-0880 
FAX.0267-42-0881



ボヘミアンガラスの歴史

 九世紀頃、スラブ系民族によって築かれたモラビィア帝国。 今日、世界中でその高い技術力と美しさで人々を魅了する工芸品である「ボヘミアガラス」の歴史は、そのモラビィア帝国のガラスビーズや指輪の遺物から始まる。この帝国はハンガリー人の侵入によりわずか一〇〇年で滅亡するが、彼らの文化は以降のボヘミア帝国へと受け継がれた。

 十三世紀に入るとヨーロッパ中央部で発展をとげたボヘミア帝国では、そのガラス技術にも更に向上し、大聖堂などのステンドグラスも作られるようになる。

 十四世紀後半には荘厳華麗な建築物とそれを彩るステンドグラスが最盛期を向かえ、多くの作品が作られたが、度重なる戦争で、そのほとんどが失われてしまった。 そしてほぼ同時期、ガラスの器も発展し、吹きガラスによる様々な器が作られるようになった。

 十六世紀にはイタリア・ルネッサンスの波を受けたヴェネチアの製法が職人の手によってボヘミアにもたらされる。 ハプスブルク家によって統治されたボヘミアでは、貴族からの要望により、多くのヴェネチア様式のガラス器が作られる。

 十六世紀末、熱心な美術愛好家であるルドルフ二世はヨーロッパ各地より、画家、彫刻家、建築家、などを招く。 そして特に彼が宝石類を愛好したこともあり、プラハは宝石彫刻の中心地となる。そのことにより、ガラスのエングレーヴィング(特殊な工具でガラスに彫刻を施す作業)に適した、水晶のように純粋で硬い透明ガラスが生まれたのだ。このガラス技術は三十年戦争の間も絶えることがなく、主要な輸出品になった。

 十八世紀に入るとガラス製品の貿易はヨーロッパ全土はもちろん、遠くアメリカやアジアにも進出する。 ボヘミアガラスはさらなる発展と多種多様を極め、深紅色、濃青色などの色ガラスや金箔を用いて図柄を表現する器も生まれた。

 十九世紀には戦争などの影響によってボヘミアガラスの輸出は一時衰退するものの、ロマン主義隆盛の波にのり、再びヨーロッパ市場に広がる。エングレーヴィングの技術も飛躍的に向上し、模様だけでなく、モデルを用いた人物像なども掘り込まれ、芸術品として更に高い表現力を見せるようになった。

posted by 風 at 11:15| Comment(24) | ボヘミアンガラス美術館 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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